1975年、1月24日、西ドイツ。
この日、ライン地方の古都ケルンのオペラハウスで行われた、 キースジャレットのコンサートが録音されていたことに感謝する。このアルバムに出会わなければ、僕の人生は少しつまらないものになっていたと思う。そして、酒の味を変えてくれた。思慮深さ、の様なものを、音楽を通して教えられた。
透明感。清涼感。重厚感・・・いろんな形容を飲み込んでしまう。すべてがあてはまり、すべての修飾は、彼の奏でるピアノの前では空しい。
LPレコードの頃、2枚組みのセットを、大事に大事に聴いていた。途中でやめる気がしないで、いつも最後まで一気に聴いていた。宮下康仁の「なにもできない若者たち」という本を読みながら、先駆者の開拓した、偉大なる時代の足跡を羨望しながら。そしてある時は、手塚治虫を読んで。覚えたてのたばこの煙にむせながら。
「心の清涼剤」と、言った人がいる。うまい表現だと思った。疲れたときに、癒しになる。ヒーリングと言う言葉じゃない。静かに心が、いつもある場所に導かれて行くような気がする。1973年のアルバム「ソロコンサート」はジャズディスク大賞を受賞しているが、キースジャレットのソロプレイは、ジャズ評論家の間ではしばしば議論の対象になってきた。たしかに純粋なジャズの理論を踏まえれば、カテゴリーからは、はずれているかもしれない、でも僕はこのアルバムを先輩に連れられて行った「おーるあろーん」というジャズ喫茶ではじめて聴いた時の感動は、その後のどんなジャズの名盤を聴いたときの感動よりも深かった。
その小さなジャズ喫茶「おーるあろーん」は、鏡ヶ池通りの坂を下って、田代本通りに向かう途中にあった。その店にいつもいる女の子に、先輩がその日、差し入れしたのは、小さなサボテンだった。その店の片隅に、まるでその日のモニュメントのように、置かれて、いつまでも皆で大事にしていた。店が開いてないときも、窓のすき間からそのサボテンを見つけると、満足してバス通りを歩いて家に帰った。
出会わなければ、ただ、それだけで通りすぎて行くものも沢山ある。でもあの日、あの音に出会わなければなかったんだ、と今でもそう思う。