2010年11月13日土曜日

なくてはならないもの

長田弘さんの詩が好きだ。時折、ふと読みたくなって詩集を手に取る。
今日も、そんな気分で読んでいた。




なくてはならないものの話をしよう。
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものはいつか失われる。
なくてはならないものは、けっして
所有することのできないものだけなのだと。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
草。水。土。雨、日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
川面の輝き。葉の繁り。樹影。
夕方の雲。鳥の影。夕星の瞬き。
特別なものなんてない。大切にしたい
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
「風と砂塵のほかは、何も残らない」
砂漠の歴史の書には、そう記されている。
「すべての人の子はただ死ぬためにのみ
この世に生まれる。
人はこちらの扉から入って、
あちらの扉から出てゆく。
人の呼吸の数は運命によって数えられている」
この世に在ることは、切ないのだ。
そうであればこそ、戦争を求めるものは、
なによりも日々の穏やかさを恐れる。
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
本を閉じて、目を瞑る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。


長田弘「世界はうつくしいと」(みすず書房)



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