僕が通った美大から少し離れた立川や福生にまだ沢山の米軍ハウスが残っていて、格安に借りる事ができた。白いペンキでリフォームしたり、壁にアートを描いたり、防音工事をしてバンド演奏をできるようにしてた友人もいた。その時代の少し前に大瀧詠一はFUSSA45スタジオを作って、R&B風のレコーディングにいそしんでいた。村上龍が福生を舞台に「限りなく透明に近いブルー」を書いた。
レゲエバンドのメンバーと親しくなり、よくその部屋に遊びにいった。かなり刺激的な毎日だった事は確かだ。遠く憧れていたアメリカの文化が少しだけ近くに感じた。基地に発着するジェット機のすごい騒音と国道16号沿いを走るトラックの排気ガスとともに。そんな頃に作った歌がたくさんある。背伸びをして。でもそれなりに一生懸命で。まあ、今歌うとちょっと照れくさいのだけど、今回はそういうのも引っ張り出してやっています。J-45の指弾きでやってみた「Route 16 Blues」という曲です。
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